volunteerbus33 #21 南三陸33号 2012年9月14~17日

今回は3泊4日の日程になります。

 

漁に使う重し作りを行いました。コンクリートを練って型に流し込むのですが、コンクリを練るのは疲れました。とはいっても自分はもっぱら流し込むだけでしたので、それほど体力は使いませんでしたが...

前日と同じ作業です。2日間とも炎天下の作業でしたので、かなり腕が日焼けしました。

仮設住宅の方と田束山観光に行きました。

山の上から南三陸の海岸を見て、どこまで家のものが流されていたという話を聞いて津波の規模が大変なものであったことを実感しました。

初参加者 女性

現地に着いたら、三陸町の皆さんにとても温かく迎えてもらえ、その明るさと温かさに、正直言うと驚きました。これまで参加されてきた先輩方がきちんと信頼関係を築いてきてくれたおかげなんだな、と感謝しておりましたが3日間通じて見てきて、このボラバス関東にずっと参加されてきている方々と三陸町の人々とのつながりはボランティアという言葉ひとつではくくれない、なにかもっと強い、想いと絆を感じました。

 

作業の合間、休憩時間中に被災者の方が、震災時の話をしてくれて「いっぱい、泣いたよ。泣くだけ、泣いたよ。」という言葉を聞いたときは、涙がこぼれてしまいました。 いつも明るく、私たちを笑わせてくれるけれど彼らは、言葉に出来ない圧倒的な悲しみを経験していて「あのとき、死んだほうがましだった。」思いと言葉を飲み込んで、笑いを作り励ましあい助け合いながら必死に前に前に進んできた人たちを目の前にして涙がとまりませんでした。部外者の私が、泣いてちゃいけないんだ、ておもうのだけれど、とまりませんでした。

作業について、「たいしたことをしていない」というご意見もありましたが私は、自分が逆の立場だったらあれらの作業を手伝ってもらえたら、とても助かります。 ガラス破片を拾いながら「今、皆とやっているから楽しいけれど これだけの広範囲を、もしもひとりでやっていたとしたら気が遠くなる、苦痛な作業だな」と思いました。 そしてこれって、ボランティアの基本な気がします。

もちろん、もっと大きなことをしたいんだ、というその想い、とてもすばらしいです。 若いから、力が有り余っているのだとおもうけれど中年に差し掛かったら、中腰の長時間の作業ってたぶんきっと、きついです。あれらの作業、そんな馬鹿にしたものでもないと思いますよひとりじゃ大変だけれど皆が力を合わせれば負担なく簡単におわってしまう、これってたぶん、いちばん素敵な形じゃないでしょうか。3日間、あっという間でした。楽しかったというのは不謹慎かもしれません。けれど、本当に楽しかった。またあそこに「帰りたい」と思います。

 

 

初参加者 女性

わかめの養殖用のおもり作りをしました。初めてセメントをこねました。私たち作ったおもりが南三陸の海に沈み、3年かかって若芽が取れる。楽しみです。 作業している私たちのそばで、あの時、一緒に死んでいたらよかった、と言われ、何も言葉をかけることはできませんでした。

明るく笑いながら、冗談に紛らし笑い飛ばしながら、心の中にある計り知れない悲しみを思うと涙が止まりません。 それでも生きていかなくてはならない。崩れた堤防はまだ海の中、流された線路もおうちの基礎もそのまま。もし街の景観が元のように戻ったとしても、本当の 復興は、生きていく意欲を取り戻すことにあると思います。被災した方たちを思い、寄り添い、少しでもそのお手伝いができたらと思います。

 

 

常連参加者 男性

セメント練りは水を加える毎に重くなります。力仕事で天気も良かったため暑くて大変でした。熱中症の可能性もあったため早めに休憩するようにしました。やっているうちに次第にコンクリート作りもポットへの詰め方も上手くなり、最終的には数百個の重しを作りました。 近くで作業されていた馬場中山のお母さん方は皆、誰かしら家族を亡くされており、改めて自分達が接しているのは、そうした悲しみを抱えている方達だということを認識しました。

大規模災害時に、東京からボランティアバスを実施しています。

ワカメの仕分作業(南三陸号)
ワカメの仕分作業(南三陸号)
BRT体験試乗(南三陸号)
BRT体験試乗(南三陸号)
復興商店街で夕食(南三陸号)
復興商店街で夕食(南三陸号)
塩害畑再生作業(南三陸号)
塩害畑再生作業(南三陸号)
大工仕事お手伝い(南三陸号)
大工仕事お手伝い(南三陸号)
買物バス運行(南三陸号)
買物バス運行(南三陸号)
作業具を積み込み(南相馬号)
作業具を積み込み(南相馬号)
竹の伐採作業(南相馬号)
竹の伐採作業(南相馬号)