テニスコート仮設住宅の渡部さんとテレビに出ました

3月3日~5日まで高速バスとレンタカーで単身南三陸町へ行ってきました。
3日の15時半新宿発の高速バスに乗り20時50分仙台着、21時からレンタカー借り23時南三陸町着、渡部さんの仮設に泊る予定。


高速バスは定刻通り順調に移動。しかし、福島県二本松ICの先で事故があり、なんと通行止め。一般道での移動になりました。

一般道は高速を降ろされた車で大渋滞。1時間半遅れの22時10分に仙台に到着しました。

仙台に着いたら渡部さんに電話で「事故でバスの到着が遅れて南三陸町到着は0時過ぎそうです。遅くなるから、道の駅津山で車中泊か仙台の漫画喫茶で泊ってから朝向かおうと思います。」と言うと渡部さんは「駄目だよ!津山だと寒いよ。足伸ばせないでしょ。もう布団敷いたから遅くなっても良いからうちへおいで。 起きて待ってるけど、もし寝ちゃってても鍵開けておくから、そおっと入ってきて。テレビの部屋に布団あるからそこで休んで。」と言ってくれました。


渡部さんに初めて会った2011年5月も車中泊のつもりで南三陸町まで来たのに今回と同じように心配して頂き避難所に泊めさせて頂きました。本当に心が温かい方です。


悪いと思い何度か断ったけど、「遠くから来たんだから、気にすることないっちゃ!何時でも待ってるから」と…

 

遅くなりそうだけどお言葉に甘え、渡部さんの仮設に直行する事にしました。
続いて滞在二日目に泊る予定の枡沢仮設から町営枡沢復興住宅に引っ越したばかりのSさんに電話、事故渋滞で遅れたことを伝えると「事故渋滞で疲れたでしょ?雨降ってるから気をつけて。明日待ってるよ。」と心配頂き、レンタカーで仙台から100kmちょっと離れた南三陸町を目指しました。

天井までボランティアとの思い出がいっぱい
天井までボランティアとの思い出がいっぱい

0時15分渡部さんの仮設に到着。渡部さんはテレビを見ながら起きてました。ドアを開け、いつもの挨拶「ただいま。」


渡部さん「おかえり、良く来たね。渋滞大変だったでしょ?そこに布団敷いてあるから休んで。」


着いて様相、荷物を降ろし横になりました。奥様は隣の部屋で既に就寝中。


4畳半の部屋に布団2セット。歩くスペースも無くいっぱいいっぱい。


この日は渡部さんと一緒に4畳半の仮設の部屋で2人で休みました。

朝6時に南三陸町おなじみの目覚ましチャイム、歌津出身の方が作ったエヴァンリオンの「残酷なテーゼ」のオルゴール音で起床。

このオルゴールは南三陸町内なら仮設でも民宿でもどこでも聞こえます。


布団を畳み、奥様に挨拶。渡部さんは朝7時になると気仙沼で311の大津波で亡くなった兄に線香をあげる。


朝食を頂き、今回南三陸町へ訪れた本題のカタログ作りを始める。

自宅に居る時に作ったクチバシカジカ工房のパンフレットのデータを渡部さんのパソコンに入れ、レイアウトの調整等の作業開始。

今回、歌津滞在時間が42時間と短いので遊ぶ時間は無し。ボラバスの時みたいに浜や気仙沼も行きたいけど、1月に尋ねた時みたいに滞在5日あっても個人で来た時はやりたい事が多く、観光に回す時間がありません。
朝食を頂き、渡部さんと一緒に希望を聞きながら修正を加える。


あっという間に昼。昼食を頂き、作業再開。15時頃にほぼ完成しました。

町営枡沢復興住宅
町営枡沢復興住宅

そ して枡沢復興住宅のSさんに電話。「これから行きます。」頼まれた物を買い、先月入居したばかりの町営復興住宅へ向かい、Sさんの 部屋を訪ねました。

復興住宅のベランダから見た風景
復興住宅のベランダから見た風景

玄関まで出迎えてくれ、「おー良く来たね。昨日大変だったでしょ?何時に着いたの?」なんて会話をしながら居間に案内してくれまし た。仮設に比べると兎に角広く立派な作りで感心しました。


プレハブで工事現場の事務所のような簡素な作りから、立派な鉄筋コンクリート造。隣の生活音も聞こえません。

コタツに入り母子家庭のSさん親子とお茶っこ。
歌と踊りの話の時は凄くニコニコしてました。


話は尽きず、 あっというまに23時。「疲れてるでしょ?そろそろ寝ようか。」と言われたので、いっぱい話したし、寝る準備をすることに。

持参した寝袋を広げ横になりました。


エアコンとホットカーペット切ったけど、全然寒くなく快適!


ただし携帯電話は圏外です。ソフトバンクはもちろん、ドコモも圏外。(auは辛うじて電波入ります)

遮音性の良い鉄筋コンクリートは電波まで遮断してしまいます。

翌朝、「これ代筆して。」と言われ、NHKと郵便の引越し届けを渡されました。「文字が小さくておれ(東北弁では女性でも自分のことを”おれ”と言います。主に高齢者)じゃ見えねっから。」代筆して朝食で油腑入りそばを頂き、シャワーを借りて朝シャ ワー。本日は9時からベイサイドアリーナの診療所で健康診断があるそうで、朝食後別れます。


8時30分にNPO団体のタクシー(料金が通常の3分の1なんだとか)が迎えに来て復興住宅の玄関でSさん親子と別れ再び渡部さんの仮設に向かいました。

渡部さんの仮設では9時30分から宮城放送のクチバシカジカ工房の取材があります。


8時45分に渡部さんの仮設に到着。



昨日作ったクチバシカジカのカタログのチェックなどをしてたら、9時半ピッタリに宮城放送のクルー3人が到着しました。


撮影1人、照明&マイク1人、ディレクター1人。大きなカメラ三脚を広げると4畳半の部屋はかなり窮屈。

クチバシカジカ工房で扱う経木の商品の撮影後、まずは渡部さんがカメラの前で語る。経木の事、ボランティアの事。

次は渡部さんと私が話してるところを撮影後、私個人に(アラフォーなのに学生ですか?なんて聞かれた。平日だからね~「有給取って来てます。社会人です。」と答えました。)「どんな思いで南三陸町へ来てるのか、渡部さんの事どう思う?」などディレクターに質問されて、それを私が答える場面を撮影。3時間くらい掛かりました。


放送は311特集後の夕方枠との事で、ローカルなので宮城県でしか見られませんが、後でディレクターが放送部分をDVDでくれると言ってました。


朝9時半から始まった取材は昼の12時半まで掛かり、撮影クルーが帰った後にちょっと遅い昼食を食べました。

その後も17時半まで商品を置いてもらってる店舗向けのカタログの印刷作業をして目処が立ったところでいよいよお別れ。



渡部さんから「気をつけて帰ってね。また会おう。」(2週間後に会う予定)の言葉を最後にテニスコート仮設を後にしました。

続 いてSさんの復興住宅へ移動。健康診断の結果は異常なしとの事で、一緒に夕食を食べました。


1時間ほどSさんの復興住宅に滞在後、Sさん親子に 別れを告げ南三陸町を後にしました。


仙台でレンタカーを返却し、22時30分仙台発5時30分新宿行きの高速バスに乗り、6日朝7時前に自宅に着きました。


今回も渡部さんとSさんだけで南三陸町ではまだまだ会いたい人居ますが、2日ではなかなか回りきれません。暖かくなったら自家用車で1週間くらい掛けて行こうかなと思ってます。

宮口

大規模災害時に、東京からボランティアバスを実施しています。

ワカメの仕分作業(南三陸号)
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BRT体験試乗(南三陸号)
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復興商店街で夕食(南三陸号)
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塩害畑再生作業(南三陸号)
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大工仕事お手伝い(南三陸号)
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買物バス運行(南三陸号)
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作業具を積み込み(南相馬号)
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竹の伐採作業(南相馬号)
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