東日本大震災を振り返る /災害発生時の治安について

災害発生時に対する治安の問題です。

 

 

外国のような大規模な暴動は無かったと思いますが、南三陸町のような救援の遅れた地域に限らず、仙台のような大都市でも窃盗などの犯罪がありました。

 

生きる為に壊れた自販機から商品を…って話も聞いた事あるけど、以下のケースは誰も見てないことに付け込んだ完全な火事場泥棒です。

2011年4月上旬 多賀城

駅や避難所、市役所の近くにあるコンビ二の様子です。「商品は全て市に提供しました。」と張り紙が店内側から貼ってありました。

 

しかし、長い間停電になっていた海に近い地域のコンビ二は「全部盗られました。もう何もありません。」と書いてある店もありました。他にも、これ以上破壊、略奪されないよう、店内が見えないようにガラス面全てに新聞紙を貼って店内が見えないようにしてる所も見掛けました。

震災後、3週間以上停電してた地区の店。監視カメラや警報機器等のセキュリティーが無効、日没後は人気が無く真っ暗なので無法地帯でした。

自警団をしていた方にお聞きしましたが、地元の中学生グループが店内に忍び込んで窃盗してたそうです。武装してるかもしれないので、中学生とはいえ集団になると大人でも手が出せないとの事。

同じく、長い間停電だった地区の家電量販店。

 

2階3階が店舗の為、浸水を免れましたが、窃盗団がトラックで乗りつけ無事だった商品の盗難があったそうです。

ATM無人契約機。

元あった場所から歩道まで流されてきてました。

案の定、中に会ったATMは破壊され、現金が収納されたケースが抜き取られてました。

 

 

*ATMの中にある現金を収納したケースは正規の鍵以外の方法で開けると札束にインクが噴射され使用不能になります。

多くの方が避難された多賀城イオン

 

大手だけに店の周りに工事現場のようなスチールの板で囲い、出入り口は警備員が常駐してました。

左側は多賀城イオンを囲ってる鉄の壁。不審者の侵入を防いでます。

 

奥に見える送電線の鉄塔が傾いてます。津波の力を思い知らされます。

こじ開けられた金庫。

 

 

自警団の方は県外から窃盗団が来たと言ってました。

ホイールだけ盗まれたプリウス。

 

全国から警察官が召集され、深夜も巡回してましたがそれでも犯罪は絶えなかったそうです。

大災害発生時は自分の身、財産は自分で守るしかない状態になります。

高齢者の方でタンス預金をされてる方が多いと聞きますが、こういった災害時はとても危険だと思います。


仙台では高齢者のタンス預金を自衛隊が発見して持ち主に返却されたと言う話も聞きました。貴重品を見つけた人が悪意のある人だと大切な物も返ってきません。

 

また、南三陸町では窃盗団が盗る物が無くなると遺体を損壊して指輪等の貴金属を盗むケースもあったそうです。

大規模災害時に、東京からボランティアバスを実施しています。

ワカメの仕分作業(南三陸号)
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BRT体験試乗(南三陸号)
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復興商店街で夕食(南三陸号)
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塩害畑再生作業(南三陸号)
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大工仕事お手伝い(南三陸号)
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買物バス運行(南三陸号)
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作業具を積み込み(南相馬号)
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竹の伐採作業(南相馬号)
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