東日本大震災を振り返る /地震発生~輪番停電

2011年3月11日の未曾有の大災害から3年が経ちました。

ここで震災当時の様子を振り返りたいと思います。

 

さいたま市で震災後に輪番停電を体験しました。

2011年3月11日 16時の写真です。

 

当時の職場(川口市)の屋上から撮りました。

人生初の震度5強。昭和40年代の古い建物の職場が倒壊するんじゃないかと思う程の激しく長い揺れでした。

2011年3月14日

浦和駅西口改札 3月14日(月)の夕方です。本日から輪番停電が始まります。

 

ライフラインである電車も本数を減らしました。本来なら帰宅ラッシュの改札も殆ど人が居ません。

西口のコンビ二も日没前に閉店。

西口駅前のホテルメッツ浦和のエントランス

ドラッグストアも日没前に閉店しました。

西口バスロータリーです。

殆ど出歩いてる人は居ません。

東口も人は疎らです。

 

駅舎の天井照明を消してるので肉眼で見た時はもっと暗い印象でした。

浦和パルコも18時で閉店。真っ暗です。

2011年3月27日

ディスカウントショップの飲料コーナーです。

首都圏各地の水道水から放射性物質が検出されたとテレビや防災無線で放送されました。

乳児や幼児は水道水を飲まないようにとの事です。

 

店舗販売は勿論、通販や自販機の物も含めミネラルウォーターが全て品切れになりました。

 

ヤフーオークションでは2リッターのミネラルウォーターがスタート価格1000円で出品され、2000円前後で落札されてました。勿論1本(送料別)の価格です。

小さなお子さんの居る家庭では水を手に入れるのに凄く苦労してたそうです。

 

この時期は自動販売機のミネラルウォーターを探し回ってる子連れのお母さんを良く見かけました。

飲料水や保存食以外に携帯ラジオや懐中電灯で使う乾電池も店頭や通販で見かけなくなりました。政府がメーカー在庫を引き取り被災地へ送ってると聞きましたが、2011年4月上旬の仙台や多賀城でも手に入りませんでした。避難所に居た方に乾電池が支給されたのかと聞いたけど、被災地に居る被災者でさえ手に入らなかったそうです。

 

時間が経てば防災意識も薄らいでいきます。日頃から生活用品は備蓄しておいた方が良いですね。

大規模災害時に、東京からボランティアバスを実施しています。

ワカメの仕分作業(南三陸号)
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BRT体験試乗(南三陸号)
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復興商店街で夕食(南三陸号)
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塩害畑再生作業(南三陸号)
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大工仕事お手伝い(南三陸号)
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買物バス運行(南三陸号)
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作業具を積み込み(南相馬号)
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竹の伐採作業(南相馬号)
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