南三陸町で一番お世話になった人

渡部正行さん、ボランティアバス関東代表津田さんとの出会い


宮口

2011年5月

渡部正行さんと初めて会ったのは2011年5月13日。

当時、自炊、車中泊で1人で被災地で活動してた私はそれまで活動していた多賀城から復興の遅れてる南三陸町に行き先を決めました。

ナビ通りに行くとあちこち通行止めになってる志津川中心部を抜け、深夜ボランティアセンターのあるベイサイドアリーナへ到着。駐車場には車中泊してる北海道から鹿児島まで、様々な地方のナンバープレートの車が50台くらい止まってました。空いてる場所を見つけ車中泊。

朝になりボランティアセンターが開いたら登録を済ませる。名前を呼ばれ、給水の仕事を任されました。

当時の南三陸町は浄水場が被災して水道水が出ません。自衛隊の給水車や他県から応援でやって来た給水車に南三陸町周辺の登米市などの被災してない地域に設けられた仮設給水所(水道管に弁と消防ホースを繋いだだけの簡易的なもの)で給水車のタンクに水を入れる仕事でした。

仮設給水所のあった公園(2011年5月)
仮設給水所のあった公園(2011年5月)
公園入り口の仮設給水所
公園入り口の仮設給水所

朝、ボランティアセンターの近くにある水道局仮庁舎で朝礼後に班分けされ、ボランティアと被災者がペアで各地の給水施設に車で移動して給水活動をします。

給水班は被災者雇用でアルバイト扱いですが、ペアになるボランティアは勿論無給のボランティア。他の15時に活動終了するボランティアと違い、給水班は近隣の街まで行って給水活動するので、仕事が終わって帰ってくると18時近くになってました。

当 時平成の森避難所で避難生活をしていた渡部さんは「ボランティアさんがかわいそう。車中やテントで寝泊りは寒かろう。自分の避難してる部屋の隣の物資倉庫 が2人くらい横になれるスペースがあるからそこに泊めてあげてほしい。」と避難所に直訴してくれて、歴代の水道班のボランティアは平成の森物資倉庫に泊 まってたそうです。

平成の森の入り口(2011年5月)
平成の森の入り口(2011年5月)

私にも水道局の方から「帰り遅いし朝も早いから平成の森って所に泊まったら」と声が掛かり、平成の森物資倉庫に泊まることになりました。

平成の森まで案内してくれた水道局の方が「解らない事があったらこの人(渡部さん)に聞いて。明日からボランティアセンター行かなくて良いから渡部さんと一緒に水道局に直接来てください。」と言われました。

平成の森(2013年8月)
平成の森(2013年8月)

渡部さんから、平成の森避難所のトイレの使い方(水洗だけど水が出ない)、食事の時間(館内放送でお知らせ後、外の配膳に並ぶ)、お風呂(男女交代で1日おき)など教わりました。

翌朝から渡部さんの車で水道局仮庁舎へ一緒に通勤する生活が始まりました。

平成の森避難所の配給食
平成の森避難所の配給食

食事も避難所の被災者と同じ物を食べる。毎食殆ど同じメニューでした。

1週間が過ぎ、いよいよ滞在最終日。渡部さんは私を自分の部屋へ呼び、コーヒーを出し昔の写真や全壊した自宅から持って来たコレクションを見せてくれました。

初めて入る被災者の生活空間。渡部さんは昔の写真を見ながら,優しく語り掛けました。

出発の時間になると渡部さんは駐車場まで見送りに来てくれ「気をつけて帰るんだよ。また会えると良いね。」と言い、連絡先の書いてある紙をくれました。
「また必ず来ます!」と答え、車に乗り別れました。

渡部さんからもらった連絡先のメモ帳
渡部さんからもらった連絡先のメモ帳

平成の森の入り口の坂を下って国道45号線に出ると、瓦礫の中を自転車で通学する地元の中学生を見かけました。

恐らく、平成の森避難所から通ってるんでしょう。

 

自分だけ帰る所がある。暮らす家がある事に激しい罪悪感に襲われました。

 

そして「必ず戻る」と心に誓いました

2011年6月

そして翌月も南三陸町へ行きました。仮設住宅が完成して渡部さんは避難所から仮設住宅へ引っ越してました。

1ヶ月ぶりの再会。電話では連絡を取り合ってたけど、再開した渡部さんは避難所時代より若干表情が明るくなった印象でした。

仮設に着くと食卓には料理がいっぱい並べてありました。


「水道で一緒になった歴代のボランティアは帰る時に『また来ます』と言うけど、本当に来たのは宮口君が初めて。」と言い、1か月ぶりの再開をとても喜んでくれました。

 

刺身やつぶ貝など、元料理店経営してただけにとても美味しかった。新鮮な海の幸を頂いたのも初めてでした。

自炊&車中泊のつもりで来たけど、ビールやお酒を出されたので、「この後ベイサイドアリーナ(ボランティアセンター)に戻るから飲めませんよ。」と答えると「うちに泊まってけばいいちゃ!」と言われました。


渡部さんはボランティアが遠路はるばる着たのに足を伸ばせない車中泊や寒いテントで生活してるのを何時も心配してました。

遠慮したけど、コップにビールが注がれ、お言葉に甘えて仮設に泊まる事になりました。

渡部さんの仮設に泊まりながら、朝はボランティアセンターへ行き15時までボランティア活動、終わったら仮設へ戻る生活が始まりました。

ボランティア活動終了後に本吉で陸橋の上に家が乗ってる有名な被災場所を見に行って帰りが遅れた時は「どこ行ってるの?もうすぐ夕食だから帰っておいで」と電話が来ました。

あっという間に5日が過ぎ、滞在期間は残り2日だけ。

 

お世話になったお礼に何か渡部さんのお手伝い出切る事は無いか?と尋ねると「泊浜の全壊した家の裏にうちの畑があるんだけど、その畑も瓦礫に埋め尽くされてしまってる。おっかあと2人じゃとてもじゃないけど片付かないから手伝ってくれないかな?」

「もちろん手伝います!」と返事をし、翌朝はボラセンに行かないで朝から渡部さんの畑の瓦礫片付けをやりました。畑の野菜は無農薬で育ててたので、畑全体に丈夫なネットが張ってあった。それに瓦礫が引っかかり足の踏み場も無いほど凄い状態になってました。

片付けは夕方まで掛かりました。

はじめからボラセン行ってないで渡部さんのお手伝いをしていれば良かったなって思ってしまいました。

 

最後の晩、初日のようにテーブル一杯に料理を出してくれてお別れ会をしてくれました。

食事が終わり、テーブルを片付けた時に再び会える事を願いサインを貰いました。

2011年6月21日 平成の森テニスコート仮設住宅にて
2011年6月21日 平成の森テニスコート仮設住宅にて

2011年7月

ボランティアバス関東参加者とハイキングをした時の渡部さん
ボランティアバス関東参加者とハイキングをした時の渡部さん

7月にボランティアバス関東創始者で代表の津田さんと知り合い、渡部さんの元へ多くのボランティアが訪れる切っ掛けとなりました。




その出会いがボランティアバス関東の現在の活動に繋がってます。

渡部さんの仮設は天井まで訪れたボランティアとの思い出がいっぱい
渡部さんの仮設は天井まで訪れたボランティアとの思い出がいっぱい

大規模災害時に、東京からボランティアバスを実施しています。

ワカメの仕分作業(南三陸号)
ワカメの仕分作業(南三陸号)
BRT体験試乗(南三陸号)
BRT体験試乗(南三陸号)
復興商店街で夕食(南三陸号)
復興商店街で夕食(南三陸号)
塩害畑再生作業(南三陸号)
塩害畑再生作業(南三陸号)
大工仕事お手伝い(南三陸号)
大工仕事お手伝い(南三陸号)
買物バス運行(南三陸号)
買物バス運行(南三陸号)
作業具を積み込み(南相馬号)
作業具を積み込み(南相馬号)
竹の伐採作業(南相馬号)
竹の伐採作業(南相馬号)