南三陸町平成の森テニスコート仮設住宅自治副会長
気仙沼クラシックカークラブ代表
3月11日の東日本大震災から2年が経ちました。地震で発生した津波で全てが奪われた私たちは丸裸になり、幸いにも「命」を頂いた私たちは避難所での生活をスタートしました。そんな折、5月中旬頃、南三陸町の避難所で宮口さんとの出会いが今日に至っております。
宮口さんは1人で南三陸町にボランティアで訪れ、私が臨時職員で雇われていた水道事業所に応援に来ていただき、1週間一緒に働きました。当時の避難所は蛇口から水が出なくて、給水車が持ってくる飲み水以外の洗濯やトイレに流す雑用水は朝夕2回、当番を決め川に水汲みに行ってました。余震も頻繁にあり、電気も町の一部しか通ってなく、生活用水にも不自由するとても不便な生活でした。
宮口さんが帰った後、毎日連絡を取り、多くのボランティアが南三陸町へ訪れるようになりました。何度も足しげく通い続けてくれる津田さん、ボラン ティアバス関東に感謝、感謝です。
そんな中、日本はもとより世界中からボランティアの方々が私達の故郷、南三陸町の復旧と復興の為に遠路はるばる来て、汗を流して頂きました。
特に何度も訪れたボランティアバス関東さんには感謝の気持ちで一杯です。2011年7月より来て頂いて、瓦礫の撤去やお墓の清掃、床下の砂出し、草刈など、あらゆる作業をして頂き、本当に感謝の気持ちで一杯です。
12月にはワカメの種挟みもして頂き、また、刈り取りから製品になるまでの工程もお願いしました。また、仮設住宅で炊き出しもして頂き、平成の森テニスコート仮設住宅、枡沢仮設住宅、歌津泊浜地区の多くの皆様に笑顔と感動を下さいました。
また、4tトラック3台分にも及ぶ物資も頂き、ありがとうございます。食べ物さえままならないとき、どれだけ仮設住宅の方々が助けられた事でしょうか。皆さんを代表して厚くお礼申し上げます。
今は、回 を重ねる毎に家族、息子、娘のように思っております。この南三陸町に来たときは「おかえり」、帰りは「いってらっしゃい」が合言葉になって ます。ボランティアバス関東さんに感激、感動、生きることをお手伝い頂いた事に、感謝いたします。この絆を大切に、これからも末永くお付き合いができます ようにお願いいたします。
今後も私達南三陸町の応援を宜しくお願いします。